小説『海風』第二話




ピンポーン

ピンポーン

…誰だ。というか今は何時だ?

スマホの画面を見る。時間は朝の4時半だ。

ヴゥウウウウウウウ

画面を見ると同時にバイブ音が鳴る。電話だ。無視して眠りたいのはやまやまだが、仕方なく出てみる。

「おいおい、ピンポン押したの6回目だぞ。いいかげん起きろ!」

呆れているらしいが、呆れたいのはこちらのほうだ。間違いなく。

「もしもし、も言わずになんなんだいきなり。というか押しすぎ。」

「Twitterでリプしただろ。俺も行く。そして出発は早い方がいい。善は急げだ。ドゥー ユー アンダースタン?」

錆びついたシャッターのように重たい瞼をこじ開けながらTwitterを開くと、彼から確かに返信がきていた。「いいね」はなかったが。

おもろいな。俺も行く。

「なんでこんな時間なんだよ。」

よく考えればそれ以外にも聞きたいことはいくらでもあったのだが、口をついて出たのがこの質問だった。

「出発の日の出を見るために決まってんだろ。早く出てこい。日が暮れちまうぞ。」

日暮れまでは何時間あると思ってるんだ、と言いかけたが止めた。彼の言葉にいちいち突っかかっていたらそれこそ日が暮れてしまう。正確にはまだ明けてもいないのだから既に日は暮れているのかもしれないが。

「わかったよ。すぐ行く。」

幸か不幸か、僕は前日に荷物を準備するタイプの人間だ。本当にすぐに出発はできる。

ただ、彼はそういう僕のタイプも見越している可能性が高い。彼は僕とは真反対の人間に見えるのだが、意外と色々考えていて、そこに惹かれるのだと思う。

彼はどこか彼女と似ている気がする。


彼との出会いは2年前。僕が大学1年生だった時だ。

僕はサークルにも入らず、バイト、読書、講義の繰り返しで日々を消費していた。とは言ってもこの生活に不満があるわけでもなく、むしろこの生活を求めてわざわざ上京して大学に入ったとも言える。つまり僕は満足していた。

あれは入学して2ヶ月ほど経った時期で、僕の3パターンの生活がうまく回り始めたくらいだったかと思う。

ちょうど長い梅雨の時期だった。

建物も古く、水はけも悪いのか、泥がしみ出して沼のような水たまりができているキャンパスを見つめながら、誰かのスワンプマンでも生まれていて、実は入れ替わっているんじゃないか、なんて意味もない空想を広げていたのを覚えている。梅雨は嫌いじゃない。

キャンパス内でも、講義中にも読書ばかりしていた僕には、友達も別にいなかった。僕も誰にも話しかけたりはしないし、誰も話しかけてはこなかった。

彼以外は。

「おいおい、大学で『罪と罰』なんか読んでんのかよ。そりゃあ誰も話しかけないな」

「話しかけてるし…」

直感的に僕が一番苦手なタイプだと思った。明るい声のトーンで笑いながら話しかけてきて、バカにして会話は終了。

「でも俺はそういうやつと友達になりたかったんだ。よろしく。ほれ、LINEのQR出して。」

彼に言われると断れないのが不思議だ。僕は入社したてで不慣れに名刺を差し出すサラリーマンのようにスマホを彼に渡す。

「俺もドストエフスキーは好き。カラマーゾフよりは罪と罰だよね。」

「ごめん、まだ読んでいないんだ。ドストエフスキーを読んだのは『地下室の手記』とこの読みかけの『罪と罰』だけ。」

「あ、でもわかる。地下室は薄いからそれからハマった。まあ面白いのあったら教えてよ。ちなみに俺が好きなのは『素晴らしい新世界』かな。」

「読んでみるよ。ありがとう。」

彼との出会いは、3パターンの繰り返しで簡単に計算できた僕の生活に一種の不確実性を与えた。

「ぜんぶ波なんだよ。不確実で揺れてんの。それが楽しいんじゃん。」

彼曰くすべては波らしい。


今日もいきなり大荒れの予感がする。

「お待たせ。行こうか。」

「おう。まずは丘に登って朝陽朝陽!」

まだ道は暗いはずだけど、なんだか明るく感じた。

最近はようやく不確実なこともある程度楽しいと思えるようになってきている。

まだ眠いことには変わりないけれど。

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